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20歳のころ、ネットである年下の女の子としりあった。彼女と私の共通項は”生き難さ”だった。”どうしようもないくらい落ちることがある”という彼女の気持ちが痛いくらいわかった。彼女の言葉は私の心を捕えて離さなかった。”おんなじだ”と思った。それは、傷の舐め合いだったのかもしれない。けれど、彼女の存在や言葉は何度も私を救ってくれた。私たちはたくさんのメールをした。私のほんとうの気持ちは、友人たちとの会話ではなく、彼女へのメールの中にあった。ネットのしりあい、という枠をすぐに超えた。家に泊まりにきたこともあったし、何度か一緒に飲みに行った。あとにもさきにもたぶん、彼女のような存在とは出会えないと思う。
その彼女が少し前に結婚した。とても彼女にふさわしい人だった。仕事も順調で、きらきら輝きに満ちる彼女に対し、私は勝手にだんだん距離を感じるようになった。数ヶ月前、ふたりで飲みに行ったとき、彼女が手の届かない世界の住人になったように感じた。もう会えないかもしれない、なんとなくそう思った。彼女の日記を読めなくなった。もう、私たちに共通項はなくなってしまった。違ってしまった。その思いが私を強く支配した。
今日、ひさしぶりに彼女の日記を読んだ。数ヶ月前会ったときのことが書かれていてはっとした。
私はいつも自分の不幸に捕われてしまう。誰かの幸せと比較してばかりいる。
でも、ほんとうは、ほんとうに大切なことは、そういうんじゃないだってこと。
“Mさんと話してわかったことがある。
自分の大切なものがわかっていれば、人は穏やかで強くいられる。
自分が好きなものに対して誠実であれば、それでいい。
それは物でも人でも同じだと思う。
みんなに好かれようとするから辛くなるのであって、自分が大切に思う人に対して誠実であればそれでいい。
頻繁に連絡を取っていなかったとしても、大切な人のことはいつも心のどこかにあるし、会わなくてもタイミングが合えば会える。たとえ数年のブランクがあったとしても。縁のある人とはそういう人だと思う。
Mさんと飲みに行った後日、別の大切な友達と会った。相手のことを心から大切だと思っていれば、とても楽しい時間が過ごせると改めて思った。
大人になって演じることがうまくなって、仕事関係の飲み会でもそれなりに笑って過ごせている。時には幹事もやる。
自分が大切にしている帰る場所があるということが支えになるのだなと思った。
この数週間で、大事な人達と会う機会が何度かあって、そのたびに色んなことを考えたのだが、日々の雑事に押し流されてしまい、詳しく覚えておくことができなかったのが悔しい。
大人になるということは大切な人のことを想っているだけで、心穏やかに暮らせるのだなということ。
たとえその人から頻繁に連絡をもらわずとも、その人の心のどこかにいればいい。Mさんの言葉にすごく納得した。(違ったらごめんなさい)
恋をしたらまた違ってくるのかもしれないけれど、私はもうきっと恋はしないから、このまま穏やかに年をとってゆきたい。
今までいっぱいもがいてきたけれど、気がついたらすこーんと抜けていた。心穏やかでない日々はまたいつかきっとくるだろうけれど、基本的に悩まず能天気でいられるように。。。
たくさんの人が救われたであろうエクニさんの詩を最後に。
どっちみち
百年たてば
誰もいない
あたしもあなたも
あのひとも
「すみれの花の砂糖づけ」という詩集がうちの本棚にあることすら忘れていました。Mさんと会った後、そう言えば持っていたかもとひっぱり出してきて、紅茶をいれて飲みながら、久しぶりに読んだ。”
"— letter to you (via escocse)
(via igaki)